日帰り文化講座

第102回日帰り文化講座

広島県・神石高原町三和地区のパワースポット開運めぐりコースを訪ねます。

★ワンポイント★

三和町にある古木にあやかる長生きめぐりのコースです。椿,松,ツガ,水などパワースポットを訪ねます。

教西寺のツバキ

県天然記念物指定

教西寺本堂に向かって左寄りの前庭にある。樹高約8mで,主幹はやや南へ傾き,地上3m辺で6支幹に分かれ,それらが更にほうき状に密に分枝して,西南方に偏った円い樹冠を形成している。主幹には瘤状の突起が多くあり,支乾や枝には,ノキシノブ,フユヅタ,コケ類などが多く着生して,古木の風格を備えている。樹勢はきわめて旺盛で,例年3~4月に開花し,ある一枝には白斑の入った花が咲くという。樹令は,少なくとも500年は経っていると推定される。広島県だけでなく,全国にみても有数の巨樹である。

光福寺の松 合掌二龍の松

文暦元年(1234年)の草創といわれる700余年の歴史のあるお寺。樹齢150年とも200年とも言われる全長約60mの大きな松がある。東西に長く伸びたその姿は,二尾の龍が東西より相寄る姿に似ており,また,中央の 真松の部分は善男善女の手を合わせた姿に 似ていることから,「合掌二龍の松」と呼ばれ,古くより近郷の銘松名木として親しまれている。

伊能忠敬測量之地碑

福山市の北30キロメートルに位置する神石高原(じんせきこうげん)時安にある神石高原ホテル正面,南側植え込みにある。地上高さ3メートルの立派な碑で2004年(平成16)に神石高原町合併記念として設置された。このほか同町内には油木,下井関,中平の3ヶ所にもある。伊能忠敬は第7次測量(九州方面)の帰路,1811年(文化8)2月にこのあたりの測量をしている。
[松井義典:神石高原町に設立された四基の伊能測量碑「伊能忠敬研究」第54号 2008 p8-14]

亀山八幡神社

創建は治歴元年(1065年)と伝えられる,神石高原町役場近くにある神社。山城国(今の京都府八幡市)から本殿全国の三大八幡宮の一社,石清水八幡宮の御分霊を勧請したのがはじまりとされている。本殿の大きさは,郡内の神社の中でも最も規模が大きく,境内には,広島県指定の天然記念物 「ツガ」 1本と,神石高原町指定の天然記念物 「モミ」1本がある。ほかに,絵馬1面,鉄製燈篭1個が神石高原町から重要文化財として指定されている。

長生きの水

父木野,県道小畠荒谷線の道路脇にて汲める湧水です。 弘法大師にゆかりがあり,疲れた旅人がこの水を飲み元気になったと言われています。

広島県の東端にある神石高原町には,長生きの水が湧き出ています。
この辺りは,美味しい水だけでなく,中国地方には珍しい高原の風景を楽しむこともできます。

出発日   9/24 (木),9/25(金)
費用    昼食付 7000円   詳細は,おたずねください。

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第101回日帰り文化講座

岡山県井原市と高梁市の史跡・産業史跡・産直市を訪ねます。

★ワンポイント★

緒方洪庵の義弟「研堂」の旧宅とベンガラで栄えた吹屋の町並みをガイドさんと廻ります。

緒方研堂旧宅

幼少期は名を大戸郁蔵といい,同郷の先輩「山鳴大年」について漢学を学んだのちの緒方研堂の旧宅が現在も芳井町に残っています。
江戸に出てから蘭学を師事する緒方洪庵と兄弟の約束をして義弟となり,緒方研堂と名乗るようになりました。

弥高山公園 『遥かな眺めと雲海に出会える山の上の公園』

弥高い(いやたかい)という意味から名付けられ,ご飯を盛ったような山の姿から別名「飯(いい)の山」とも呼ばれるこの山は,広島県との境に位置する,ひと際高い山です。それでも,標高654mとハイキングには手ごろな低山。「雲海」が見えるということで国内の名山の1つにもなっています。
春は10万本のツツジが全山を多い,梅雨の時期にはアジサイ,秋は紅葉が迎えてくれる四季折々の自然が満喫できる上,約17haの広大な敷地にはキャンプ場,バンガロー村,ロッジ,貸別荘などのアウトドア施設が充実しているとあって,実はちょっとした人気のスポットなのです。
山頂の展望台からの360度のパノラマは圧巻です。北は伯耆(ほうき)大山,南は水島・福山の工業地帯,気象条件がよければはるか瀬戸の島々,四国の山々までもが眺望できます。
毎年4月第3日曜日には「春らんまん!弥高つつじ祭」が開催されます。また,5月中旬が見頃の弥高山のレンゲツツジは,カッコウ花と呼ばれています。咲き誇った群生地は,一見の価値ありです。

吹屋ふるさと村

郷土館

町並みの中心部に位置した郷土館は,5年の歳月をかけて明治12年に完成された吹屋商人の家です。 妻入りの入母屋型で塗込造りとベンガラ格子の建ち並ぶ中でも代表的な建物の一つで,石州の宮大工の手により建てられ,屋根は石州本焼で葺かれ,ケヤキ,サクラなど最上級の用材がふんだんに使われ,その建築のきめ細やかさには目をみはるものがあります。

ベンガラ館

ベンガラは江戸中期(宝永4年,1707年)全国で初めて吹屋で生産されて以来,江戸後期,明治,大正と大いに繁昌を続け,吹屋の町並みの基礎を作りました。明治の頃のベンガラ工場が当時の姿に復元されたもので,製造工程などを知ることができます。

広兼邸

広兼氏は大野呂の庄屋で,同家2代目元冶が享和・文化の頃小泉銅山とローハ(ベンガラの原料)製造を営み巨大な富を築き,徳川末期に建てられた主屋・楼門・城郭にまがうばかりの石垣は,今もそのままに当時の富豪を偲ばせています。
敷地 2581㎡
建物 本宅323㎡,  離れ屋敷 117㎡,  長屋 103㎡
土蔵 153㎡,  楼門 8㎡

芳井特産直売所でお買い物を楽しみます。

出発日   8/27 (木),8/28(金)
費用    昼食付 7000円   詳細は,おたずねください。

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第100回日帰り文化講座

山口県宇部市の産業施設と庭園・特産物生産所を訪ねます。

★ワンポイント★

宇部興産専用道路の見学,777年創建の宋隣寺,琴製作所,宇部蒲鉾,車海老養殖場など宇部の特産品を見ます。

宇部興産専用道路

宇部興産専用道路(うべこうさんせんようどうろ)は,山口県宇部市から同県美祢市に至る宇部興産の専用道路です。正式名称は,宇部興産 宇部・美祢高速道路(うべこうさん うべ・みねこうそくどうろ)。全長28.27kmに及ぶ,日本一長い私道です。
 宇部市大字小串の宇部興産宇部セメント工場から美祢市伊佐町伊佐の宇部興産伊佐セメント工場までを結び,伊佐石灰石鉱山で採掘した石灰石と,伊佐セメント工場でつくったセメントの半製品クリンカーを専用トレーラーで運搬しています。後述の通り,かつてこれらの輸送には国鉄美祢線を利用していましたが,昭和中期から後期にかけての国鉄の度重なる運賃値上げや労働組合運動激化によるストライキ頻発により,拠点間輸送の効率化と安定化の必要に迫られた結果として建設された経緯があります。私道であり,道路通行を事業としていない(=工場構内などと同じ扱い)ため,道路運送法・道路交通法・道路運送車両法の適用を受けないことから,使用されるトレーラーは専用道路向けの専用仕様でありナンバープレートを取得していません。また,これらの法規に基づかないため,舗装方式や幅員等の規格が一般の道路と異なっています。(Wikipediaより引用)もちろん“専用道路”の名が示すとおり,一般人が普通にドライブすることなど出来ない道なのですが,宇部・美祢・山陽小野田産業観光推進協議会が企画する「産業観光バスツアー 大人の社会派ツアー」の1コースとして,この専用道路をバスで走って見学することが可能となっています。
今回は,「セメントの道」というコースに参加し,この宇部興産専用道路を訪問します。

宋隣寺庭園

宋隣寺は,宝亀8年(777年),唐より来朝した為光(威光)和尚が松江山普済寺として創建。その後寛文10年(1670年)福原氏が宗隣寺として建立。平成10年に本堂を再建。観音霊場の第18番(本尊如意輪観音)札所で観音信仰の聖地。
 本堂の北側にある「龍心庭」は山口県最古の庭園(南北朝時代に築庭 約650年前)池泉式庭園で全国唯二つしかないという山畔を利用した池庭で,特に奇岩巨岩を用いず池の中に二列直線八石夜泊石を配しただけで,護岸石組みも枯滝や出島の主なものにとどめた閑寂な趣きで,禅の真髄を説いているといわれている須弥山式禅宗庭園である。国の名勝庭園に指定。

たましげ琴製作所

創業100年以上の歴史・手作りの琴製作

宇部市北部の船木地区には,全国でも珍しい手作り琴を製作している「たましげ琴製作所」があります。明治27年創業で100年以上の歴史があり,現在も4代目琴司の玉重彰彦さんが琴の製作を継承され,技を磨いておられます。また,宇部市では「全国小・中学生筝曲コンクール」を開催し,日本の伝統文化である筝曲(琴の演奏)の普及・発展に努めておられます。

宇部蒲鉾でお買い物や,宇部市唯一の車海老養殖場(32000㎡の海水池で年産70万尾)を見学します。

出発日   7/24 (金),7/30(木)
費用    昼食付 7000円   詳細は,おたずねください。

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第99回日帰り文化講座

岡山県新見市の自然と産業・歴史の町並みを訪ねます。

★ワンポイント★

5年前の講座で訪ねたすずらんの「おもつぼ湿原」を再訪し,伝統的な産業と歴史的な街並みを訪ねます。

おもつぼ湿原のすずらん

「すずらんの園」には,園内に面積約2.0haの湿生植物群落があります。こ れを「おもつぼ湿原」と呼んでいます。観察のための遊歩道が完備されています。 本州すずらんの自生地で,ジュンサイやサギソウなど,変化に富んだ植物が107種確認されています。また,貴重なハッチョウトンボなどの昆虫が126種も 確認されている自然の宝庫です。6月下旬は,トキソウ・コバノトンボソウ・ヒツジグサ,7月下旬はアギナシ,8月下旬はサギソウと,それぞれに見頃を迎えます。

カツマル醤油醸造場

岡山県の創業100年企業

ひたすら美味しい醤油をつくる姿勢が原点

カツマル醤油の店舗は、古民家再生の第一人者・楢村徹先生の手を借り、昔のたたずまいが残り懐かしい空気が漂っています。店内の一角にはガラス張りのギャラリーが設けられ、県内外の作家を招いて作品を展示し、期間中には遠くからもファンが訪れてにぎわいます。

御殿町まち歩き

この新見御殿町をつくったのは新見藩の「関のお殿様」です。
1697年,元禄10年,赤穂浪士討ち入りの5年前です。
新見のお殿様の関家と織田信長の小姓として本能寺で亡くなった「森蘭丸」の森家とは当時から姻戚関係で美濃の国で共に織田信長に仕えておりました。
森蘭丸には当時四人の兄弟がありました。欄丸,坊丸,力丸は本能寺で亡くなりますが,一番若い千丸は当時13歳で美濃の国に残っており助かります。
関が原の戦いで徳川家康から認められ,津山城に18万6千5百国で,関家を連れて入って来ます。津山藩森家は2代目にして跡継ぎが無く,関家の長男が森家2代目当主に入ります。この頃に関家は領地を持たない大名として津山宮川関家1万8千石の大名になります。
津山藩森家5代目にして跡継ぎが無くなりお家断絶。森家は2万石で井原から赤穂城に入ります。また1 万5千石で兵庫県三日月城に入ります。一方関家は領地を持たない大名でしたが,新しくこの新見に新開地をもらい,新しく新見の城下町を凄い勢いでつくります。当時はもうお城はつくれない時代です。藩主は御殿(館)をつくります。これが,新見御殿町の名のもとです。
現在の裁判所の所に川が流れていました。その川を現在の高梁川にまとめ,この地区を埋め立て,田んぼや町人の町にしました。現在の裁判所の所に惣門があり,そこから上が武家屋敷でした。
(四間幅の道=本了) (寿福松原通り=松原通り)

歴史コース

太池邸・寿福松原(松原通り)・石垣と川・温故館(渡辺屋敷)・四間幅の道(本丁)・思誠舘跡碑・丸川松陰碑銘・新見舘址碑・風木谷川・高瀬舟発着場跡・元船差役(井上薬局)・津國屋 内蔵・三味線横丁

町屋コース

太池邸・元仕出し 自由亭・元料亭 松葉・元料亭 松月・児玉邸(元料亭 梅屋)・元大阪屋旅館 別館・田原屋・御殿町センター・カツマルギャラリー

出発日   6/19 (金),6/25(木)
費用    昼食付 7000円   詳細は,おたずねください。

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第98回日帰り文化講座

岡山県赤磐市の史跡と産業施設を訪ねます。

★ワンポイント★

赤磐市は文化財の宝庫。古墳時代や奈良,室町時代の遺跡,遺構があります。産直市のワイナリーにも立ち寄ります。

両宮山古墳(りょうぐうさんこふん) 新たに発見された二重周濠を持つ巨大前方後円墳

赤磐市を含めて岡山県南部の瀬戸内海沿岸一帯は,かつての吉備王国が栄華を極めたところです。温暖な自然環境は早くから人々の定住を促し,集落の増加と文化の交流はやがて巨大な地方国家を誕生させました。この“両宮山古墳”は備前地方第1位,県下でも第3位の規模を誇り,かつて大和朝廷に対抗する程の勢力を持っていた吉備王国の往時を偲ばせてくれます。一部が水田になっているものの,県内では唯一の遺構である水をたたえた内濠が,鬱蒼とした墳丘を静かに包み込んでいます。そして,近年の発掘調査により,内濠の外側に外濠がめぐることが確認され,あわせて二重の周濠をもつ前方後円墳であったことが判明しています。また,“両宮山古墳”は周辺に点在する西高月古墳群の主墳をなすもので,近くには近親者が葬られたと考えられる陪塚と呼ばれる帆立貝形の前方後円墳“茶臼山古墳”もあります。

足王神社 足の病気を治してくれる神様「足王さん」と呼ばれ親しまれている

大国主之命,手名椎之命(てなづち),足名椎之命(あしなづち)の三神をおまつりしています。春と秋の大祭を4月29日と9月29日に開催。“鎌殿”には“病をたち切る”意味で身近な鎌が山のように供えられ,信者の多さを物語っています。

山陽郷土資料館

この資料館は,赤磐市の考古資料を収蔵・展示し,郷土の学術と文化の振興に寄与することを目的に,昭和53年1月,財団法人山陽町文化財保護協会が建設しました。
 平成12年度から,山陽町教育委員会,平成17年からは赤磐市教育委員会が管理運営しています。
 古代吉備文化の栄えたこの地域には,国指定史跡である両宮山古墳・備前国分寺跡をはじめ,南方前池遺跡・用木古墳群など多くの遺跡が残されています。
 資料館では,縄文時代のドングリや,弥生時代の土器や石器,山陽の岩田14号墳から出土した環頭大刀や正崎2号墳から出土した短甲をはじめとする古墳の副葬品や陶棺を見ることができます。
最近の発掘調査により,備前国分寺跡出土の文字瓦や銅印などが展示されています。

足利義政供養塔

室町幕府8代将軍・足利義政。幼くして将軍になり,後に日野富子と結ばれます。
 応仁の乱の後,義政や実子の義尚と不仲になった富子は,親交のあった備前国守護・赤松政則の重臣である浦上氏や松田氏を頼って熊山に隠遁。その後,相次いで亡くなった義政と義尚の供養をしながら,この地で余生を送ったという説があります。
 その安息の地として,義政と富子の2基の塔が奉られています。

全国唯一の石積遺構

岡山県南部の最高峰「熊山」一帯の山塊には,33ヵ所に及ぶ石積遺構が所在します。その中でも最大の石積遺構1ヵ所を国指定史跡「熊山遺跡」と呼んでいます。ピラミッドを思わせる,特殊な三段方形の石積遺構です。昭和31年9月27日に国史跡に指定されました。

熊山遺跡全景

出発日   5/28(木),5/29(金)
費用    昼食付 7000円   詳細は,おたずねください。

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第97回日帰り文化講座

岡山県倉敷市の玉島,水島,早島地区の産業・文化を訪ねます。

★ワンポイント★

玉島漁協直営の朝市と三菱自動車水島製作所の工場見学,午後からは早島町の史跡をガイドさんと巡ります。

玉島魚市場

天保3年(1832年)魚問屋として創業。平成15年より一般の方向けの朝市を開始。「セリの見学」「マグロの解体」などイベントも開催されている市場です。

工場見学

三菱自動車工業株式会社 水島製作所

水島製作所ではプレスから最終組立までの車作りの全工程作業が存在しており,その他にエンジン組立・鋳物加工等も含んだ世界でも例の少ない一貫生産工場です。工場見学では,一枚の銅板から車になっていく様子を目の前で見学します。

PRセンター展示ホール内へ展示
(電気自動車,電気自動車用バッテリー,旧生産車輌,水島製作所の歴史パネル 等)

早島町観光 東回りコース(約4㎞)

不老のみちとは,戦国時代に早島周辺を支配した戦国大名宇喜多秀家によって行われた早島湾干拓,江戸時代に旗本戸川家によって行われた藺草の栽培,由伽や金毘羅詣に向かう人々の足跡,早島が瀬戸内に浮かぶ島だったころの生活道を復元し,早島の歴史や文化を感じることのできる散策道です。
散策のコースは,東まわりコース(4㎞),西まわりコース(4㎞),南まわりコース(5㎞)の3コースが準備されていますが,今回は東まわりコースを巡ります。
 今も早島に残る史跡や景観から,いにしえの人々の早島にかけた熱い想いを感じとりたいものです。
スタート地点 ☆.歴史民俗資料館  1.戸川家陣屋跡  2.さつき荘  3.金比羅燈籠  4.龍神社
5.安原備中供養塔 6.安養院 7.早島公園(竹井将監五輪塔) 8.つつじ公園(国鉾神社)
9.戸川家陣屋跡  ゴール地点  10.中央公民館

出発日   4/23 (木),4 /24 (金)
費用    昼食付 7000円   詳細は,おたずねください。

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第96回日帰り文化講座

再発見!東広島市安芸津町・河内町・西条町の史跡を訪ねます。

★ワンポイント★

安芸津町は万葉の歴史と杜氏の古里。河内の文化財と西条に残る町屋「石井家住宅」などを訪ねます。

安芸津・祝詞山八幡

 貞観3(861)年に勧請され、創建されたと伝わる由緒のある神社です。毎年10月の第1日曜日には大祭が開かれ、そこで行われる神賑行列は市重要無形民俗文化財に指定されています。
 また、境内には神社のある風早地区が、万葉集ゆかりの地であることに因んだ歌碑と陶壁もあります。

万葉陶碑

安芸津歴史民俗資料館

伝統ある広島杜氏に関する資料及び酒づくりに関する道具等の展示


 安芸津歴史民俗資料館は,東広島市安芸津支所に隣接する安芸津文化福祉センターの3階にあります。

 この資料館は,現在の広島杜氏の生みの親であり,吟醸酒誕生に深い関わりを持つ三浦仙三郎さんにゆかりの資料を展示しています。
 また,酒造りや安芸津の赤土を原料としたレンガ造りなど,安芸津町の産業についての資料を見ることができます。
出発日   3/13(金),3/19(木)
費用    昼食付 6500円   詳細は,おたずねください。
柄酒造  安芸津で創業160年。
三浦氏の軟水醸造法を受け継ぎ,少量生産で目の行き届く酒造りを続けています。
原料はすべて広島県産酒造好適米を使い,麹造りは麹蓋(こうじぶた,写真2枚目)に米麹を入れて混ぜる蓋麹(ふたこうじ)という方法で行っています。
麹蓋には一升ほどの麹しか入らず手間がかかりますが,上級酒向きの丁寧な方法です。 (東広島市公式HPより)

深山変電所本館(旧広島電燈株式会社椋梨川発電所)

 深山(みやま)変電所は、大正7(1918)年に旧広島電燈株式会社の椋梨川発電所として造られた石造の建物です。壁は花崗岩の切石積みですが、内部は漆喰仕上げで、屋根裏はトラスが組まれています。また、半円アーチ形の窓を設けるなど、重厚な洋風建築で、山間部の近代化を象徴する建物として国の登録有形文化財に登録されています。

旧石井家住宅

 西条四日市の旧西国街道沿いにあった江戸時代の町家を移築したものです。移築の際に,鬼瓦から寛政7(1795)年の銘がみつかり,建築年代が明らかになりました。建築の構造は入母屋造妻入で,妻側から見た屋根の形は「兜造」と呼ばれており,当地方でよく見られた形式です。平成5年に市の重要文化財に指定されています。

吾妻子の滝

 東広島市西条町御薗宇(みそのう)の国道375号線のすぐ東、御園宇小学校の西の黒瀬川にかかる滝です。

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第95回日帰り文化講座

再発見!広島放影研と安佐南の天然記念物2件&「いにしえの宿場町」海田町を訪ねます。

★ワンポイント★

よく耳にする「放影研」を訪問し、安佐南区の天然記念物2物件に触れ、海田町の歴史街道を訪ねます。

[公益財団法人 放射能影響研究所]

放射線影響研究所は1975年に設立された日米共同研究機関です。平和目的の下に,原爆放射線の人体に及ぼす医学的影響を調査研究し,被爆者の健康維持と福祉に貢献するとともに,人類の保健の向上に寄与することを目的としています。
広島と長崎にある二つの研究所では,臨床医学,疫学,遺伝学,分子生物学,統計学およびコンピュータ科学などの諸分野で最新の方法を駆使しながら,被曝線量に基づいて被爆者とその子どもにおける放射線の影響を調査研究しています。これらの調査は被爆者の協力に支えられており,大規模な調査集団の長期にわたる研究結果は,世界で放射線を利用した医療や放射線防護基準の設定に活用されています。
事前予約すれば,施設や研究内容についての説明を受けることができます。

川内・温井八幡の乳下りイチョウと県天然記念物 長束の蓮華松

温井八幡のある川内地区は,太田川と古川(ふるかわ)に囲まれ,昔からたびたび水害に見舞われたところです。近年,田畑が次々と住宅地に変わっていく中で,このあたりだけは昔の面影をとどめています。
温井八幡の境内には,「乳下リイチョウ」と呼ばれて人々から親しまれてきた大きなイチョウの木があります。この木は大きいだけでなく,鍾乳洞の天井から垂れ下がる鍾乳石のような形をした乳柱(にゅうちゅう)を幹から多数下げた奇異な姿をしています。乳柱は老大木になったイチョウにまれに見られる現象で,時には長く伸びた乳柱が地面にとどき,根のような働きをしている例もあります。
イチョウの仲間は,1億5千万年ぐらい前には世界各地で12種ぐらいあったと言いますが,現在では日本,朝鮮,中国にただ1種が生き残っているだけです。 しかも日本の森林の中に自然の状態で生育しているイチョウは見当たらず,神社や寺院などに植えられていることが多いことから,日本には中国原産のものが伝えられたのだろうと考えられています。

温井八幡の乳下りイチョウ

長束の蓮華松

昔から街道筋や神社、寺院などに好んで植えられたクロマツは、私たちにとって馴染み深い木で、各地に名松が残されています。
安佐南区長束の蓮光寺にあるクロマツもそのひとつです。この木はそのあまりの美しさに、近江(おうみ)八景(滋賀県)のひとつ、唐崎(からさき)の名松さえ足を洗って(または跣(はだし)で)逃げ出すほどだと言うので、「洗(跣(せん))足唐崎松」と呼ばれたと言います。どっしりとした主幹から四方に向かって水平に伸びる枝が、境内全体をほとんど覆いつくす姿は実に見事なものでした。地を這うようなその形から、「臥竜(がりゅう)松」「蓮華の松」とも呼ばれていたそうです。
 蓮光寺の前身は、鎌倉時代に下安(しもやす)に建立された松陰坊だと伝えられています。現在の地に移ったのは、一説に寛永7年(1630年)のこととされ、クロマツはその記念として植えられたものだと言われています。以来この地で350年の年月を重ね、長束に伝わる「麦たたき歌」の中にも、
      松を見なはれ蓮光寺の松を
        天をおそれてもとをはう
      もとをほうても蓮光寺の松は
           極楽浄土の蓮華松
と歌われて、地元の人々に親しまれ続けてきました。
しかし、最近ではマツクイムシの影響から枝葉が衰え、樹勢の維持を図る措置により、樹形が変化しています。

西 国 街 道

 西国街道とは,江戸時代の山陽道(京都~下関)の呼び名です。17世紀現在の形にできた西国街道は,当時陸上の大動脈として文化,社会の交流に役立っていました。これが基になって,今の国道2号になっています。
 この山陽道の宿場町として栄えた「旧千葉家」ほか,戦後も交通の要所として発展している海田町の町並みと史跡を地元ガイドさんの案内で訪ねます。

出発日 2/26(木),2/27(金)
費用  昼食付 6500円   詳細は,おたずねください。

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第94回日帰り文化講座

再発見!竹原市の中世から近世、現在に至る歴史と文化を訪ねます。

★ワンポイント★

県内で2番目の大きさの忠海の県天然記念物(大クスノキ)と竹原の中世以後、近世から現在に至る歴史・文化・風土を訪ねます。

忠海・楠神社の大クスノキ

 楠神社のクスノキは,社殿の背後(北)にあり,地面に浮き出た,周囲約21m根張りを土台にして主幹が生じ,地上4m辺りで4本の支幹に分かれ樹高は約32m。
クスノキは関東地方以西の低地に生ずる常緑広葉樹で,特に太平洋及び瀬戸内海の沿岸地域に巨樹が多くみられます。済州島,台湾,中国南部,インドシナにも分布しています。昔から聖木として神社の境内に植えられることが多く,本神社ではクスノキが御神体のような形になって社殿の背後に立ち,主幹には注連縄が張られています。

藤井酒造 酒造交流館

 江戸末期に建てられた酒蔵の一角を改造した酒蔵交流館は,太い柱や天井のはりが130年余りの伝統を物語,ほんのりと酒の香りが漂っています。酒蔵の一角を情緒たっぷりのコミュニケーションスペースとして開放。酒蔵ならではの天井が高く落ち着いた雰囲気のある空間に椅子とテーブルが並べられ,数種類の日本酒が無料で試飲できるほか,本格手打ち蕎麦を楽しめるそば処もあります。

西 方 寺・普 明 閣

 もとは田中町に在る禅寺で地蔵堂の隣にありました。現在地には,もと禅寺の妙法寺があり,慶長7年(1602)に火災で焼失し,翌年,妙法寺跡のこの地へ移り,浄土宗に改宗しました。境内には,本堂,鐘楼,庫裡,法界地蔵堂,山門などの建築が建ち並びます。境内前面には,一見城郭を思わせるような壮大な石垣があり,錚々たる寺観を呈しています。 入母屋造,一重,平入,本瓦葺,前面と側面前方を吹抜とし,側柱には太い敷桁を載せるだけの簡単な構造をしており,江戸中期のこの地方の仏堂の典型的形式をもつ,貴重な建築です。須弥檀は禅宗様式となっています。

地蔵堂

 慶長7年(1602)、下市村の大火により焼失しましたが、その後代官鈴木重仍により再建され、以後塩浜の守護として信仰されました。上市にある胡堂とともに、近世の町づくりの境界神としても貴重な遺構です。現在の建物は昭和2年に建築されたものになります。境内には、竹原の発展に貢献した鈴木重仍、田窪藤平、小山季興の石碑が見られます。

【照蓮寺】
もとは定林寺と称し曹洞宗の禅寺で、小早川氏代々の子弟が学んだ寺です。文禄の頃(1592~1595)寺は荒廃してしまいましたが、慶長8年(1603)僧浄喜が真宗に改宗、僧恵明(獅絃)、恵範(片雲)等のすぐれた学門僧が輩出しました。江戸中期から後期にかけて竹原の文化センター的役割を果たしており、当時の文化人の遺墨も数多く残っています。本堂は元文2年(1737)の再建で、周囲に広縁を設け、広い畳敷の三つに区画した外陣、一段と高い内陣、粽付の丸柱と組のもの、金箔押しの透かし彫の欄間など、広島県の代表的な浄土真宗本堂といえます。経蔵は享保2年(1717)の建立で、方三間堂、宝形造、本瓦葺。鐘楼門(明和3年=1766)。庫裡、裏門、水屋が配置されています。また庫裡の裏には、県下でも指折りの名園「小祇園」があります。室町期の築庭といわれる泉水を中心とした落ち着いた庭で、しっとりとした趣があります。

出発日 1/23(金),1/29(木)
費用  昼食付 6500円   詳細は,おたずねください。

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